「狂いの美学」を演じきれ!(制作ヒストリー裏話1)

💮「狂いの美学」を演じきれ!(制作ヒストリー裏話1)
2月のマリアセレンオペラ公演で総合プロデューサーを務める植村文明です。
ちょっとだけ制作ヒストリーをお話しさせていただきます。

Easy Operaの構想】
「敷居が高いオペラ界。もっとオペラの良さを知ってもらうには、第一にストーリーが分かりやすく、敷居もコストも頭も低くしなけばならない」が発想の原点です。クラシックマーケットの裾野を広げるために、できるだけコストと無駄を省いて、15,000円以下の新作オペラを届けたい、これがEasy Operaの基本方針です。新作にこだわる理由は、「作品は時代と共にある」という考え方で、再現芸術に埋没しない。その時代の要請に応えた新作に果敢に挑戦し、100年後にクラシックエンターテインメント作品と言われるようにしたい。
彼女のような偉才のトランスジェンダーがオペラに出ると興味を持たれて行きやすくなる。これも時代の要請かもしれません。

私のように原作・作詞・演出も舞台監督から制作まで一人で何役もこなすのは当たり前で、稽古では作曲家の武井浩之氏もピアノ伴奏、照明、音源操作、営業まで、主演のマリアセレンも作詞、演出、制作から営業までこなしています。2つのスプリットバンダにしたコンサートオペラ形式にすることで、贅沢な舞台美術もカット。つまり、日本的に言えば、断捨離オペラを目指していきたいと思っています。

【マリアセレンとの出会い】
実にひょんなことで、2013年に銀座で彼女の歌に触れることになったのがきっかけです。
最初は、トランスジェンダーであること、重戦車並みの体格、スバ抜けた声量に椅子からコケしてしまうほど驚きました。その時点ではまだ、一緒に組んで活動しようとは夢にも思っていませんでしたが、やはりあの当時の彼女の音楽的スキルはまだまだ粗削りで上を目指すにはもっと専門的な再教育を必要としていました。

【長期計画】
そこで、長期3ケ年計画を立て、ボイストレーニング、減量などの体質改善、ジムでの体力付けからスタートしたのです。実は、そのころから2人でオペラを目指す共通目標が浮かんで、彼女から作曲家の武井浩之氏の紹介を得て、3人で原作づくりを開始しました。その世界的に通用する両声切替技法を武器にマリアセレンという命名とキャラ付けを行い、日本にこだわらず、最初からグローバル市場をねらっていく戦略を考えました。




音楽マーケットは縮小傾向にあり、とくに楽曲販売の市場は低迷し、逆に体感型の生声コンサート市場が伸長しているという現実では、アーティストの多様性を活かした複合的なコンテンツ戦略でないと一過性に終わると全員その危機感は共有していました。
そこに東京オリンピック・パラリンピックが決まり、インバウンドの外国人観光客も増え、世界に通用する国産コンテンツが不足すると考えたのです。

最初は1人ピン立ちの依頼出演で正式デビュー(2015/12/23サントリー小ホール)、翌年に初の自主公演(2016/10/20日本橋劇場)を成功させ、さらに翌年オペラ公演(2017/2/3ヤクルトホール)でステージアップを狙う計画を立てたのです。

2015/12/23サントリー小ホール

2016/10/20日本橋劇場






















しかし、新作オペラといっても、そんな簡単にはできません。
武井氏も私も広告業界出身で初挑戦がいきなり新作オペラ制作という大胆な挑戦でした。
しかし、歌唱指導、イタリア語オペラ発音学習、イタリア語基本学習と専門訓練の数が増えるにつれ、彼女の有望性と人柄に惚れ、頭ガチガチのクラシック音楽スタッフと異星人のような広告クリエイターのコラボチームが自然と形づくられてきいきました。これが3年前です。
私の師である喜多流能楽師粟谷明生氏に入門させたのもその頃でした。

(制作ヒストリー裏話2へつづく)

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